既婚者で同性愛者。
僕自身は「既婚ビアン」と言うものを13.14年前に作ってそれ以来既婚ビアン。
現在ではポチポチ名乗る人やそういう掲示板も見かけるようになりましたが、当時は非難しかなかった。
僕自身は「既婚ビアン」と言うものを13.14年前に作ってそれ以来既婚ビアン。
現在ではポチポチ名乗る人やそういう掲示板も見かけるようになりましたが、当時は非難しかなかった。
今も非難は受けます。
セクシャリティはこの15年で多様化してきました。
それをリアルタイムで見てきた方も多いでしょう。
「既婚者でありつつも同性愛者」
と言う一見矛盾したもののなかには色々な悩みが潜んでいます。
+伴侶(結婚した相手)を見て異性が信じれなくなった。
+もともと同性愛者ではあったが、世間や親の圧力に耐え切れなかった。
+おかしいおかしいと思っていたけど、結婚してあらためて自分が同性愛者だと気がついた。
その理由は人それぞれであり、そしてその苦しみも人それぞれだと思います。
この十数年僕が不思議だったのは、
「同性愛者はみんなセクシャルマイノリティに悩んでいるのに、どうして他のセクシャルマイノリティに嫌味を言ったりや批判したりするのか」
と言うことです。一部に過ぎませんが、そんな悲しい報告を受けたことは少なくありません。
僕は独身レズビアンカップルさんや独身レズビアンさんとお話したことがあります。
自分のセクシャリティに「悩み傷つき苦しんできた」方は僕に話を聞いて「まあいろいろな人が居るよね」と言ってくれます。
そういう人たちも居るなかで、どうして話も聞かず「既婚同性愛」だけで批判するのか。
自分もセクシャルマイノリティで苦しんでいる【はず】なのに、他のセクシャルマイノリティは批判する。
そういう方たちは必ず居ます。
僕なりにはそういう方々の分析は出ていますが、ここで語るのは無しにしましょう。
既婚者で「同性の恋人がいる」それは確かに世間で言う「不倫」だと僕は思います。
それ自体は受け入れられないのはわかります。世間的には「背徳」ですし。
ですが
「既婚でレズビアン(ゲイ)である」
と言うこと自体を責められるのはなんだかなあ・・・と言う想いは抜けません。
色々な意見があるし、人間性として認められない。
と言う方もいらっしゃるでしょう。
それは
「同性愛なんて認めない気持ち悪い」
と言うノンケ(異性愛者)と変わらないような気がします。
同性愛者を嫌うノンケには、同性愛者の気持ちも葛藤もわからない。
それはそれで仕方がないことでしょう。
立場が違うことで相手のことを理解できない人がいても、それは仕方の無いことです。
人の多様性であり、それぞれの価値観はあります。
もしあなたが「既婚同性愛者」を理解できないのなら、理解しなくてかまいません。
ただ
「僕らをそっとしておいてください」
セクシャリティを否定されてうれしい人はいないと思います。
僕らのセクシャリティは「既婚同性愛」であり、僕の場合は「既婚ビアン」です。
それは僕らが血を吐き、苦しみだしたひとつの「結論」なのです。
既婚同性愛者の中には将来離婚する人もいるでしょう。既婚者を続けていく人もいるでしょう。
それはどちらもあなたのセクシャリティと同じように「血を吐き悩み泣いた結論」のひとつなのです。
僕はセクシャルマイノリティである人たちを否定的な目で見たことはありません。
ですが、否定的な目で見る人がいるのもひとつの事実です。
否定的なら近寄らなければいい。かかわらなければいい。
それがお互いに傷つかないひとつの方法だと僕は思っています。
僕はあなたを否定しません。
もしあなたが僕のセクシャリティに否定的なら、それはそれで悲しいですが仕方ありません。
どうしても許せないなら、かかわらないでください。
お互いに傷つけあっても生まれるものは「絶望」でしかないのですから。
僕はいかなるセクシャルマイノリティの方も歓迎します。
セクシャリティはこの15年で多様化してきました。
それをリアルタイムで見てきた方も多いでしょう。
「既婚者でありつつも同性愛者」
と言う一見矛盾したもののなかには色々な悩みが潜んでいます。
+伴侶(結婚した相手)を見て異性が信じれなくなった。
+もともと同性愛者ではあったが、世間や親の圧力に耐え切れなかった。
+おかしいおかしいと思っていたけど、結婚してあらためて自分が同性愛者だと気がついた。
その理由は人それぞれであり、そしてその苦しみも人それぞれだと思います。
この十数年僕が不思議だったのは、
「同性愛者はみんなセクシャルマイノリティに悩んでいるのに、どうして他のセクシャルマイノリティに嫌味を言ったりや批判したりするのか」
と言うことです。一部に過ぎませんが、そんな悲しい報告を受けたことは少なくありません。
僕は独身レズビアンカップルさんや独身レズビアンさんとお話したことがあります。
自分のセクシャリティに「悩み傷つき苦しんできた」方は僕に話を聞いて「まあいろいろな人が居るよね」と言ってくれます。
そういう人たちも居るなかで、どうして話も聞かず「既婚同性愛」だけで批判するのか。
自分もセクシャルマイノリティで苦しんでいる【はず】なのに、他のセクシャルマイノリティは批判する。
そういう方たちは必ず居ます。
僕なりにはそういう方々の分析は出ていますが、ここで語るのは無しにしましょう。
既婚者で「同性の恋人がいる」それは確かに世間で言う「不倫」だと僕は思います。
それ自体は受け入れられないのはわかります。世間的には「背徳」ですし。
ですが
「既婚でレズビアン(ゲイ)である」
と言うこと自体を責められるのはなんだかなあ・・・と言う想いは抜けません。
色々な意見があるし、人間性として認められない。
と言う方もいらっしゃるでしょう。
それは
「同性愛なんて認めない気持ち悪い」
と言うノンケ(異性愛者)と変わらないような気がします。
同性愛者を嫌うノンケには、同性愛者の気持ちも葛藤もわからない。
それはそれで仕方がないことでしょう。
立場が違うことで相手のことを理解できない人がいても、それは仕方の無いことです。
人の多様性であり、それぞれの価値観はあります。
もしあなたが「既婚同性愛者」を理解できないのなら、理解しなくてかまいません。
ただ
「僕らをそっとしておいてください」
セクシャリティを否定されてうれしい人はいないと思います。
僕らのセクシャリティは「既婚同性愛」であり、僕の場合は「既婚ビアン」です。
それは僕らが血を吐き、苦しみだしたひとつの「結論」なのです。
既婚同性愛者の中には将来離婚する人もいるでしょう。既婚者を続けていく人もいるでしょう。
それはどちらもあなたのセクシャリティと同じように「血を吐き悩み泣いた結論」のひとつなのです。
僕はセクシャルマイノリティである人たちを否定的な目で見たことはありません。
ですが、否定的な目で見る人がいるのもひとつの事実です。
否定的なら近寄らなければいい。かかわらなければいい。
それがお互いに傷つかないひとつの方法だと僕は思っています。
僕はあなたを否定しません。
もしあなたが僕のセクシャリティに否定的なら、それはそれで悲しいですが仕方ありません。
どうしても許せないなら、かかわらないでください。
お互いに傷つけあっても生まれるものは「絶望」でしかないのですから。
僕はいかなるセクシャルマイノリティの方も歓迎します。